(株)サムライアロハは、被災地の雇用の創出、各人の事情に合わせた働き方の導入、そして伝統文化=着物に新しい息吹を注いだ独創性が評価され、2019(令和元)年度「仙台『四方よし』企業大賞」特別賞を受賞しました。顧客の約9割が外国人。仙台・東北から世界に向けて発信するクール・ジャパンの先鋒です。
ライフスタイルの変化によって日常の風景から消えてしまった和の装い。箪笥の中で眠る美しい着物をよみがえらせたプロダクトが『サムライアロハ』。子育て中で思うように働けない女性たちに裁断や洗浄、柄合わせといった作業を依頼し、福島・岩手の縫製工場で開襟シャツに仕立てています。1着の着物から1枚しかつくれない、世界に一つだけの品です。
―令和元(2019)年の「仙台『四方よし』企業大賞」特別賞の受賞後、周囲の反響はいかがでしたか。
サムライアロハの認知度向上につながりました。当社は地元よりも県外、海外の知名度のほうが勝っていました。おかげさまで取引先も増え、これからだ、とブーストをかけようと思っていた矢先、コロナ禍に見舞われました。どの業種・業界も等しく影響があったかと思いますが、インバウンド需要が大きかった当社には大打撃でした。
そんな中で、「仙台『四方よし』企業大賞」特別賞の受賞により、地元はもとより全国ネットのニュースやメディアで取り上げていただく機会も増え、新卒/中途採用の問い合わせをいただくことも増えました。報道をご覧になった方から仙台市役所に「サムライアロハで働きたい」と問い合わせがあったとも聞きました。現在のところは新規採用の予定はありませんが、魅力ある会社と感じてもらえたのはとてもうれしく思っています。
―サムライアロハが誕生したきっかけを教えてください。
私は大学卒業後、東京でブランド品買取や質屋、外貨両替などの事業を展開する企業に就職しました。貴金属や宝石鑑定の資格を取得し、責任ある立場を任され充実した日々を送っていましたが、2011年に東日本大震災が発生しました。実家(岩沼市)が大きな被害を受けたこともあり、Uターンして、地元で友人らとともに古物商を始めました。
仕事柄、とても心を痛めていた光景がありました。かつては価値をもっていた着物が、二束三文で売られていく、あるいは買い手がつかずに廃棄される状況です。そこで着目したのが「アロハシャツ」です。元々、アロハシャツは1990年代初頭、ハワイに移住した日本人が、持参した着物をほどいて開襟シャツに仕立てたものと言われています。限られたリソースを大切にし、当地の気候に合うように、また機能性も考えて作られたとされていますが、日本を誇らしく思う気持ちもあったはずです。心とモノを大切にする、そんなスピリットに刺激を受けました。製品は、復興に立ち向かう東北の姿と侍の不屈の精神とを重ねて『サムライアロハ』と命名しました。ちなみにアロハシャツはハワイ州における公式なビジネスウェアです。
―サムライアロハ事業を始められるにあたり、どういう経緯で、働き手として地元の女性たちの力を活かすことになったのですか。
設立当時は、待機児童問題があり、地域の女性たちも働きたくても働けない状況にありました。それならば、と力を借りることになりました。
作業は完全に分業制で、ほどき、洗い、選別、裁断などを、各人の働けるリズムに合わせて柔軟に取り組んでもらっています。子育てや介護などで急に休むことになっても作業に支障が出ないようなシフトにしていますし、配偶者控除の範囲に合わせて働くことも可能です。自宅でできる仕事をつくるなど、「働き手よし」の職場環境づくりに努めました。
縫製は、震災で被害を受けた福島、岩手の工場に依頼しています。どちらもハイブランドの縫製を手掛けているところです。ハイクラス製品には正確な縫製技術などの高いクオリティが求められます。サムライアロハが百貨店やパリコレ、ハイエンドセレクトショップに進出できたのも、厳しい品質基準を満たしていたからです。
柄合わせなどのデザインに関しては、地元女性たちのセンスに助けられました。シャツの前合わせの柄をつないだり、留袖の絵羽模様を活かしたりといった高度な意匠は、属人的なセンスに依存すると思います。本当に幸運でした。
―売上の9割が外国人とのことですが、当初から海外を照準にされていたのですか。
サムライアロハには、デザイン、品質、ストーリー(アロハシャツ由来、ローカル&クラフトプロダクツ)といった複数の価値が付加されており、海外マーケットでも十分に商機があると踏んでいました。さらにマーケティングの手法を取り入れ、セグメントを細やかにすることで、売上アップが果たせています。
たとえば今年(2024年)から成田空港第2ターミナルの免税フロア(ナリタ5番街、世界有数のブランドブティックが並ぶ)「Fa-So-La TAX FREE AKIHABARA アキハバラ+」でコーナー展開していますが、購入時に提示されるパスポートを基に、国籍別の購入履歴(色や柄)をデータ化しました。すると、「コンテンツcontents」「文化culture」「色color」の3つのCによって分類できる傾向が見えてきました。アジア圏の人々はアニメやブランドといったコンテンツを好み、欧米人は和の文化を尊重する傾向があり、植物が貴重な砂漠国ではグリーンを求める、といった具合です。
ですから発着便に合わせて、商品ラインナップを変更しています。ディスプレイを総取っ替えというときも少なくありません。
手にしやすい価格帯とはいえないかもしれませんが(アロハシャツ29,700円、Tシャツ8,800円、パーカー18,700円)、海外のお客さまを中心にたいへん好評をいただいています。円安の影響も大きいですね。
―櫻井社長はクリエーターを応援する取り組みにも着手されているようですね。
職業柄たくさんの工芸品やアートに触れてきましたが、東北には普遍的なパワーを持つ良品、美品がたくさんあります。みちのくの風土というのは独特の感性を育むようで、今、人気を集めているアニメや漫画の作者にも、東北出身者がとても多いですよね。「職人がいても、商人がいない」と言われるのが東北です。そうした現状をなんとかしたいと私は考えています。
グループ会社である(株)仙台買取館の事業では、若手アーティストの育成を支援しています。その一つが、東北芸術工科大学(山形県山形市)の卒業制作の展示販売です。収益の7割は制作者である学生に渡し、1割は大学に寄付という形をとっています。少しずつでも若きクリエーターの未来を支えたいと思っています。
また、絵画や彫刻などは、温度・湿度・照明などの管理が難しいのですが、そのノウハウと設備を有しているのは、当社の強みですね。
―御社は職人と商人の両方を備えていますね。広く知られるに伴い、同様のアプローチを試みる後発メーカーも登場しているようですが。
日本の文化を世界に発信していくという意味では、喜ばしく思っています。
今後、国内の市場は縮小していくことが明らかなので、中小企業としては海外に販路を見出さなくてはならないでしょう。特定のニーズや要求を持つ小さな市場=ニッチマーケットを狙っていく戦略も検討すべきです。
ただ、海外を主戦場にするにあたって、私たちと同じような失敗は繰り返してほしくないと思っています。為替の動向は生命線ともいえるものですし、経費としては関税などの輸出関連費用は利益を圧迫するものです。輸送費も積もれば大きなものになりますし、ローカライズ費用も無視できません。このあたりは、取り組んでみて初めて見えてくるものでした。私自身が痛い思いをして学んだ経験知は、皆様に共有したいと考えていて、講演活動にも力を入れています。全国の中小企業が海外を視野に事業展開することをサポートしていきたいです。
―今後の経営戦略、方向性をお聞かせください。
インバウンド向けの販路拠点としては、成田空港の免税フロア、大丸東京店(JR東京駅八重洲北口)、清水港(豪華客船の寄港地)と、陸・海・空を押さえています。プラスして羽田空港、関西国際空港、新千歳空港に参入できれば、大きなアドバンテージがもたらされると思います。
そして現在の衣料服飾に加えて着物をリメイクしたファブリック製品、また日本の陶器(有田焼、備前焼、九谷焼)、古家具、織物など、「HOME」ラインを立ち上げたいと考えています。こうした日本のアイテムに対する海外マーケットのポテンシャルは大きいと踏んでいます。
ほか、古物商としては、後継者不在という困難に直面している同業者とのパートナーシップや統合も視野に入れています。
当社は、古き良きものに敬意を払いつつ、日本が誇る価値を時代に合わせた新しい発想で世界に発信していきたい。それが暮らしを豊かに楽しいものにしてくれるものであってほしいですし、これからも私たちの経営がもたらす「四方よし」を追い続けていきたいと思っています。