青葉区米ケ袋で1967年に創業した『肉のいとう』を運営するWIDEFOOD株式会社は、「かたい信用 やわらかい肉」のキャッチコピーをはじめ、印象に残るCMや「仙台牛壱万円弁当」「お肉のおせち」などインパクトある商品開発、仙台駅前への集中的な飲食店出店など、今、注目されている地場企業の一つです。仕掛け人は、日本を代表する起業家・孫正義氏の下で働き、東日本大震災をきっかけに家業を継ぐ決断をした二代目の伊藤直之社長。「仙台牛」の可能性、そのおいしさをもっと知ってほしい——その目は日本を超えて、世界を見据えています。
―創業者である伊藤攻氏(現・代表取締役会長)は技術者から精肉店経営に転身されたようですね。ご苦労も多かったのではないでしょうか。
両親はずっと働き詰めでしたし、小さい頃、家族で旅行に行ったという記憶もありません。当社の創業は1967年。ちょうど高度経済成長期にあたりますが、当時はここ米ヶ袋周辺地域に8軒の精肉店がありました。このような‟まちのお店”は、その後の大規模小売店やチェーン店の進出などで少なくなっていき、『肉のいとう』は当地域に残った最後の1軒です。
―経営環境の変化に耐えることができた理由はなんでしょうか。
「お客様第一」という理念とその実践に尽きると思います。高品質の商品をお手頃価格で、という商いを貫いてきました。品の良し悪しに敏感なお客様は遠方からでもお越しいただいていましたし、地域の方には毎日の食卓を支えるお肉屋さんとして親しまれてきました。また、当社では早い時期から惣菜に力を入れてきました。これは期せずしてライフスタイルの多様化に対応していたと思います。今ほど男性との家事分担が一般的ではなかった時代、働く女性にとって、こうしたお惣菜は食卓を彩る力強い味方になったのではないでしょうか。
―伊藤社長は当初、家業を継がれる意志はなかったものの、東日本大震災が転機になったとお聞きしました。
震災の発生当時、私はソフトバンクに勤めており、2万人の社員の中から選抜された臨時基地局プロジェクト(600名)の一員として、石巻、女川地区に赴きました。現地の壊滅的な状況にショックを受けると同時に、復興について深く考えさせられました。今はボランティアや支援金が集まっている。しかし、これがいつまでも続くとは思えない。時間とともに風化も進むだろう。東北地方における長期的な産業育成、雇用創出が必要だと強く感じたのです。
ただ、その時点ではまだ家業を継ごうとは考えていませんでした。その後、「肉のいとう」の看板だった「仙台牛」について改めて調べてみたところ、2012年当時、国内300超の銘柄牛のなかで、肉質等級が最上の5等級に限定されているのは、信州牛、深谷牛、そして仙台牛だけでした(※現在は仙台牛のみ)。年間出荷量は7,000頭。前沢牛は1,000、神戸牛4,800、松坂牛でも6,800頭でしたから、流通量の多さも際立っています。それなのに全国的な知名度は低く、品質が正当に評価されていませんでした。
―仙台牛の高い品質には大きな可能性があるにも関わらず、全国への普及が進んでいない理由は何でしょうか。
仙台といえば牛タン、という認知が先行しているのが大きな要因だと思います。そこで、私は、食通の知人や同僚などに仙台牛や「肉のいとう」の惣菜を試食してもらいました。すると、「有名なブランド牛や有名店の惣菜と比べても遜色ない」という太鼓判をもらいました。こうした経験から、仙台牛は国内だけではなく世界で闘える素材なのではないかと考え、「肉のいとう」の事業を通じて地域の長期的な産業育成、雇用創出を実現するため、家業を継ぐ決断をしました。事業承継にあたって、まったく異なる領域への挑戦でしたので、学び直しが必要と考え、慶應義塾大学ビジネススクール(KBS)に入学し、プロモーションとマーケティングを専攻、経営学修士を修めました。
―現在の事業は、どのような枠組みで展開されていますか。
成長に向けた柱として大きく3つのドメインがあります。一つは対面販売。これは今も昔も変わらない当社の最前線であり、お客様から直接フィードバックがいただける貴重な場です。二つ目は通販事業。自社サイトを含め、LINEギフトや楽天市場といったECサイトで販売しています。これは仙台牛の魅力を全国へ広めていくために不可欠だと考えています。三つ目は最近力を入れている飲食事業で、焼肉、やきとりなどの店舗があります。飲食事業は当社の中で3本柱の一角としての成長を遂げられるようにと考えており、メニューの開発、キャンペーンの効果、お客様の反応などを分析しています。
―精肉店から現在に至るまでの事業領域の拡大は、もともと計画されていたのでしょうか。
入社当時、私は100のやりたいこと、長期経営目標を立てました。そのうち、現在のところ達成できているのは35ぐらいです。これは100が並列に配置されているのではなく、1枚のドアを開けたら、2枚のドアがある、というイメージで、ひとつの成果を原動力として、次の可能性に繋げていくアプローチです。
―御社はM&Aにも積極的に取り組まれているとお聞きしました。
この100のやりたいことの中には「M&A」も入っていたのですが、これは拙速に進めるのではなく、本業の収支などが安定してからと考えていました。また、M&AによってWin-Winの関係となり、技術やノウハウの補完、市場拡大、リソースの最適化など多くのシナジー効果が見込める相手先を望んでいました。経営基盤がある程度安定してきたタイミングで、M&Aの取組みに着手しました。
最近、M&Aに至ったのは2社あります。どちらも歴史があり、地鶏、島豚・エゴマ豚など特色のある商品を取り扱い、販路も確立している優良企業です。ただ、後継者が不在、あるいはリーダーシップをとれるまでには育っていないという大きな課題を抱えていました。
実際に、国内の中小企業・小規模事業者の約半数が後継者不足というデータもあります。後継者不在が要因で廃業する事業者が増えると、震災時に必要だと感じた「東北地方の産業育成・雇用創出」が実現できなくなってしまいます。当社で行うM&Aは、こういった事業承継の問題を解決する手段の一つだと考えています。
―M&Aを実施する際には相手方との対話を大切にしているとお聞きしました。
事業承継に課題を抱えている事業者の方に「もし20年前に戻れるとしたら、何をしたいと思いますか?」といった質問をしています。すると、「もっと商品開発に力を入れておけばよかった」「販売先を増やしておけばよかった」「企業名の認知度を高めたかった」など、当時やりたかったけれどできなかったことや、今振り返るとやっておけばよかったことについて話してくれます。こうした経営者との対話を丁寧に行うことで、M&Aを通じて取り組むべき方策を見つけることが可能となり、その思いを叶えるためのサポートや、M&Aによるシナジー効果を発揮しやすいと感じています。
また、M&Aによって、惣菜づくりや飲食店で使用する食材を内部で調達できるようになったことはもちろん、M&A先の企業では、経営体制の変更をきっかけに、取引先との交渉で商品価値を適切に反映し、単価を上げることができました。これまで様々なしがらみの中でできなかったことも、このように“新しい風”が入ることで可能になることも多く、大きな相乗効果を感じています。
―事業を承継されてから様々な「攻め」の経営に取り組まれてきたのですね。今年(2024年)は「守り」にも力を入れているとお聞きしました。
はい。今期に入ってから、広告・広報戦略のテコ入れ、社内の経理・会計システム、勤怠システム・人事評価システムなどの見直しを行いました。またWIDEFOODの設立から12年経っているので、自社のミッション、ビジョン、バリューを再定義しました。経営全体を経営者一人の能力に依存するのではなく、チームで事業立案、意思決定などを行う体制が重要であると考えており、高くジャンプするためにも、足元をしっかり固めることが重要だと考えています。今後は、新しい製造拠点をつくり供給量を増やすこと、これまでにない新しい味付けなどの新商品開発、仙台牛の海外販路拡大を考えています。
―仙台市の地域中核企業輩出集中支援事業では、どのような目標を掲げているのでしょうか。
本事業の支援期間内(最長3年間)の目標として、売上拡大はもとより、販売・通販・飲食の横断的なプロモーション・ブランディング、海外展開を含めた新規顧客開拓、コスト改善、業務内容の効率化、経営マネジメントの強化などを挙げています。そのためにも本事業を通じたコンサルタント支援を最大限活用し、意見や助言をいただきながら、迅速かつ合理的な意思決定をしていきたいと考えています。また、東北の土地柄として、慎重、横並びなどが挙げられますが、私は「出過ぎた杭は打たれない」と思っています。“出過ぎる”勇気を常に携えていたいです。
―最後に、今後の抱負をお聞かせください。
私は「仙台牛」のブランド力向上に尽力していきたいと考えています。近年はインバウンド消費が活発ですが、日本で食べた和牛の味が忘れられなくて自国でも探して買い求める、という消費行動が見られます。この”記憶に残る味”の筆頭が「仙台牛」であってほしいと強く願っていますし、そのための挑戦と行動を日本、世界で続けていきたいと思っています。また、各3本柱(販売・通販・飲食)のそれぞれの成長と、東北が抱える後継者不足という強い課題に対して、事業承継を通じた橋渡し役ができればと思っています。
企業情報
WIDEFOOD株式会社
業種 | 製造業
卸売業・小売業
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住所 | 宮城県仙台市青葉区米ヶ袋1-6-8 |
TEL | 022-222-5647 |
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